ツギハギ日本の歴史

日本の歴史を、歴史学者の先生方などの書籍などを元に記述します。

2023-05-18から1日間の記事一覧

円融天皇の時代(安和、天禄、天延、貞元、天元)

・安和2年(969) 8.13 冷泉天皇の譲位により、守平親王が即位した。(『日本紀略』) ・安和2年(969) 8.13 藤原実頼は摂政に任じられた。(『日本紀略』) ※こうして、天皇が幼少の間は摂政を置き、天皇が成長すれは関白を置くという「摂関政治」が確立した(田中…

冷泉天皇の時代(康保、安和)

・康保4年(967) 5.25 憲平親王は践祚した(冷泉天皇)。(『本朝世紀』) ・康保4年(967) 6.22 藤原実頼は関白に任じられた。(『本朝世紀』) ・康保4年(967) 7.9 『延喜式』が頒布された。(『日本紀略』) ※巻3の臨時祭は、天皇の代替わりの際に奴婢8人と馬8頭を…

村上天皇の時代(天慶、天暦、天徳、応和、康保)

・天慶9年(946) 4.20 朱雀天皇の譲位により、成明親王が即位した(村上天皇)。(『貞信公記』) ・947年(和暦天暦1) 4.26 源等は参議に任じられた。(『公卿補任』) 〔要参考〕『西宮記』には、源等は源氏長者であったとする。また、源氏長者は嵯峨天皇の子孫で…

朱雀天皇の時代(延長、承平、天慶)

・延長8年(930) 9.22 醍醐天皇の譲位により、寛明親王が践祚した(朱雀天皇)。藤原忠平に政事を摂行させた。(『山槐記』) ・延長8年(930) 9.22 左大臣,藤原忠平は摂政に任じられた。(『山槐記』) ・延長9年(931) ?.? 平高望の子息,良兼と、その甥,将門の仲が…

醍醐天皇の時代(寛平、昌泰、延喜、延長)

・寛平9年(897) 7.3 宇多天皇は譲位し、敦仁親王が践祚した(醍醐天皇)。宇多太上天皇は、藤原時平と菅原道真に対して、醍醐天皇を補佐するよう詔した。(『日本紀略』) ※当時、租税の未進が深刻な問題になっていたほか、班田収授が行われなくなったため、国家…

宇多天皇の時代(仁和、寛平)

・仁和3年(887) 8.26 定省親王は践祚した。(『日本紀略』) ※宇多天皇の日記は、本康親王に続いて古いものである。かつて臣籍降下した経歴も日記を書いたことに影響していると考えられる(倉本一宏『平安貴族とは何か』)。 ・仁和3年(887) 11.21 宇多天皇は、…

光孝天皇の時代(元慶、仁和)

・元慶8年(884) 2.5 仁明天皇の皇子,時康親王は践祚した(光孝天皇)。(『日本三代実録』) ※清涼殿において陽成天皇が殺人を犯したことで、貴族層は天皇およびその寝床に死のケガレが及んだと考え、なるべく皇統を転換させようとする意図をもって時康を天皇に…

陽成天皇の時代(貞観、元慶)

・貞観18年(876) 11.29 清和天皇の譲位を受け、貞明親王が践祚した。(『日本三代実録』) ・貞観18年(876) 11.29 清和太上天皇の勅により、藤原基経は摂政に任じられた。(『日本三代実録』) ・元慶2年(878) 3.15 俘囚が秋田城を襲撃し、周辺の民家を焼き払っ…

清和天皇の時代(天安、貞観)

・天安2年(858) 8.27 惟仁親王は践祚した(清和天皇)。(『日本三代実録』) ※清和天皇は9歳と幼年のため、太政大臣,藤原良房が政務を代行した。幼帝が即位せざるを得ないという、天皇制の危機的状況の中、それに対応するために良房が代行することになったとも…

文徳天皇の時代(嘉祥、仁寿、斉衡、天安)

・嘉祥3年(850) 3.21 皇太子,道康親王は践祚して天皇となった(文徳天皇)。(『日本文徳天皇実録』) ※文徳天皇の母,順子は藤原良房の妹である。そのため良房は天皇の外戚となった(樋口健太郎「良房」『図説 藤原氏』)。 ・嘉祥3年(850) 3.25 文徳天皇は、藤原…

仁明天皇の時代(弘仁、天長、承和、嘉祥)

・承和2年(835) 4.2 葛原親王は甲斐国巨麻郡の馬相野に、500町の土地を与えられた。(『続日本後紀』) ※「巨麻」という名が示すように、駒(馬)の生産地であり、馬を天皇に献上する牧が集まる場所であった。葛原親王は、常陸国における弓馬術に長けた有閑階級…

淳和天皇の時代(弘仁、天長)

・弘仁14年(823) 4.16 嵯峨天皇からの譲位を受け、大伴親王が践祚した(淳和天皇)。(『日本紀略』) ・弘仁14年(823) 4.16 淳和天皇は、嵯峨前帝に太上天皇号を贈ろうとした。一度は辞退されるが、淳和天皇は再び詔を発し、尊号が贈られた。(『日本紀略』) 以…

嵯峨天皇の時代(大同、弘仁)

・大同4年(809) 4.1 平城天皇の譲位を受けて、神野親王は践祚した(嵯峨天皇)。(『日本後紀』) ※平城天皇は癇癪持ちで、人格的な不安的さを窺わせる記録があることから、譲位の理由となった病気は、精神疾患であった可能性も指摘される(河内春人『新説の日本…

平城天皇の時代(大同)

・延暦25年(806) 3.17 八尺瓊勾玉と草薙剣が東宮に移され、安殿親王は践祚した(桓武天皇)。(『日本後紀』) ※これが「剣璽渡御の儀」の初見である。それまでは、天皇の崩御から新天皇の践祚までの間に政治的空白が生じていたものの、神器が皇太子に渡る儀式を…

桓武天皇の時代(天応、延暦)

・天応1年(781) 4.3 光仁天皇の譲位により、山部親王は践祚した(桓武天皇)。(『続日本紀』) ・天応1年(781) 4.4 桓武天皇は、同母弟,早良親王を皇太子とした。(『続日本紀』) ・天応1年(781) 4.15 桓武天皇は大極殿において即位宣命を発した。(『続日本紀』)…

光仁天皇の時代(宝亀、天応)

・神護景雲4年(770) 群臣は、称徳孝謙皇帝の遺詔を根拠として、白壁王を皇太子に立てた。(『続日本紀』) 〔参考〕『日本紀略』所引の「百川伝」によれば、左大臣,藤原永手、右大臣,吉備真備、参議,藤原宿奈麻呂・雄田麻呂・近衛大将・蔵下麻呂兄弟、藤原縄麻呂…

孝謙称徳天皇・淳仁天皇の時代(天平勝宝、天平宝字、天平神護、神護景雲)

・天平勝宝1年(749) 1. 聖武太上天皇は行基から菩薩戒を受けて出家、「太上天皇沙弥勝満」を自称した。(『続日本紀』) ※天皇経験者の出家は初であり、天武天皇が現人神としての像を固めた天皇のうえに、仏を位置づけたことになる(渡辺晃宏『平城京と木簡の世…

聖武天皇の時代(神亀、天平、天平感宝)

・神亀1年(724) 2.4 元正天皇は、皇太子で甥(文武天皇と宮子の皇子)の首親王に譲位した(聖武天皇)。(『続日本紀』) ※聖武天皇即位宣命は、文武天皇が首親王(聖武天皇)に「天下の業」を賜ったが、若年だったために「皇祖母」元明天皇に授け、元明天皇は元正天…

元正天皇の時代(和銅、霊亀、養老)

・ 和銅8年(715) 9.2 元明天皇の譲位により、娘で文武天皇の姉にあたる氷高内親王が即位した(元正天皇)。(『続日本紀』) ※元明太上天皇は譲位において、気力が衰えたことを理由に述べているが、本来の目的は太上天皇として娘の元正天皇と孫の首親王を支える…

元明天皇の時代(慶雲、和銅)

・慶雲4年(708) 6.24 皇太妃,阿閇内親王は「詔」を発し、廷臣たちに、自身が国政を行うことを宣言した。(『続日本紀』) ※まだ阿閇内親王は正式に即位していなかったため、これは「称制」だったとも考えられる(米田雄介「践祚と称制-元明天皇の場合を中心に」…

文武天皇の時代(大宝、慶雲)

・697年 8.1 持統天皇は即位宣命により、譲位し、孫の珂瑠皇子が即位した(文武天皇)。(『続日本紀』) 文武天皇は、皇太子になってから即位するまでの期間が短い。そのため、天皇を補佐する役割としての「皇太子」ではなく、天皇の後継者としての意味合いが強…

持統天皇の時代

・天武天皇の崩御後、皇太后,鸕野讃良皇女は「称制」を行った。(『日本書紀』) ※「称制」をしていた際の鸕野讃良皇女には、前皇后としての権限に、大王不在という状況下において権限が更に付与されていたと考えられる(荒木敏夫『可能性としての女帝』)。 ※鸕野…

弘文天皇(仮)・天武天皇の時代(朱鳥)

・ 大友王子は、左大臣に赤兄、右大臣に中臣金を任じ、果安・巨勢人・紀大人を重用した。(『日本書紀』) ・672年 5.? 〔参考〕大友王は山稜造営のために人夫を摘発していたが、人夫には武器を持たせていたという。(『日本書紀』) ※これは対新羅戦争のための徴…

天智天皇の時代

・661年 7.24以降 斉明天皇崩御後、葛城王は即位せぬままに実質的な天皇として「称制」を行い、国政を担い続けた。(『日本書紀』) ・母を偲んで葛城王は歌を詠んでいる。 君が目の 恋しきからに 泊てて居て かくや恋ひむも 君が目を欲り ※葛城王がすぐに即位…

孝徳天皇~斉明天皇の時代(大化、白雉)

・645年 6.14 〔参考〕皇極天皇は葛城王への譲位の意志を詔した。しかし葛城王は皇位を辞退した。そこで宝王の弟軽王が即位した(孝徳天皇)という。(『日本書紀』) ※皇極天皇の即位が、古人王の次期天皇としての地位を予定したうえでのものであるという見解か…

舒明天皇~皇極天皇の時代

・629年 1.4 田村王が天皇に即位した(舒明天皇)。(『日本書紀』) ※推古天皇の崩御から即位するまで10ヶ月程過ぎていたのは、山背王の即位を望む者が多く、群臣間の合意が成されるまでに時間がかかったからとも考えられる(瀧浪貞子『女性天皇』)。 ※田村王の…

崇峻天皇~推古天皇の時代

・587年 8.2 前大后の額田部王や、蘇我馬子ほかの群臣の奉戴により、穴穂部王の同母弟泊瀬部王が天皇に即位した(崇峻天皇)。蘇我馬子は引き続き大臣となる。(『日本書紀』) ※用明天皇が崩御した後も、まだ竹田王が十分な年齢に達していなかったため、崇峻天…

用明天皇の時代

・585年 9.5 敏達天皇の異母弟で、額田部王の同母兄である橘豊日王が即位した(用明天皇)。(『日本書紀』) ※本来王統を受け継ぐのは、敏達天皇と額田部王との間に産まれた竹田王であったとも考えられる。ただ、当時の竹田王は成人していなかったため、「中継…

敏達天皇の時代

・572年4.3 欽明天皇と石姫王の王子、訳田倉太珠敷王が天皇に即位した(敏達天皇)。(『日本書紀』) ※当時の皇位継承は、現天皇の王子と、天皇の娘もしくは蘇我氏の女性が産んだ王族が優先され、そして大王位継承資格者の中での年齢順になされる緩やかなもので…

欽明天皇の時代

539年 10.?〔参考〕『日本書紀』によれば、広庭王は、はじめ自らを若年(当時31歳)で未熟だとして、春日山田王に代わりに大王になってもらおうとしたという。 ※この逸話から、31歳は大王として政務を行ううえで未熟と考えられていた節がある。また、熟年の前…