ツギハギ日本の歴史

日本の歴史を、歴史学者の先生方などの書籍などを元に記述します。

冷泉天皇の時代(康保、安和)

・康保4年(967) 5.25 憲平親王践祚した(冷泉天皇)。(『本朝世紀』)

・康保4年(967) 6.22 藤原実頼は関白に任じられた。(『本朝世紀』)

・康保4年(967) 7.9 『延喜式』が頒布された。(『日本紀略』)

※巻3の臨時祭は、天皇の代替わりの際に奴婢8人と馬8頭を供出することが規定された。刷新に際して、それらの者たちに京都の罪を被せ、祓ったとも考えられる。その後は官奴婢や官馬として使役されたと思われる。また、『延喜式』においては「有穢」「為穢」という表現が定着し、祭祀の禁忌に触れることや、それらが伝染したものとしての「穢」の観念が拡散することとなる(佐々田悠「古代日本の罪と穢れ」『差別と宗教の日本史』)。

※巻8が収める『延喜式祝詞』は6月末と12月末の大祓に、朱雀門前にて百官を集めて唱えられた。京都に生きる人々が、最も罪を意識するときであった。大祓は「雑々の罪」「天つ罪」「国つ罪」を祓い清めるものであり、それらの穢れは祓われると川から海に流れ、「根の国、底の国」に辿り着いて霧散するとされた。大祓には麻が用いられた。(佐々田悠「古代日本の罪と穢れ」『差別と宗教の日本史』)。

※「民部」においては、日本の地区は「畿内」「近国」「中国」「遠国」と区分された。畿内を中心としている律令国家において、坂東や東北奥州は辺境の意味合いを含んだ遠国に分類される(関幸彦『武士の誕生』)。

※『延喜式祝詞』の写本である九条家本では、助詞と助動詞が万葉仮名で漢字の右に小さく書かれており、宣命体である。宣命体の文章は、人前で読むことを前提としたため、日本語の語順のままである(山口仲美『日本語の歴史』)。

※主税の項目には、「俘囚稲」というものがある。田租の一部を出挙とし、捻出した利益を俘囚の生活維持費に充てたものである。全国の内で関東に課された俘囚稲は3割近くを占める。その額から当時の俘囚は坂東に10000人ほどがおり、軍事や警察を担うことを期待されたと推測される。また、他の俘囚稲の負担は大宰府付近の九州および瀬戸内から琵琶湖に集中しており、新羅から襲来する海賊や、瀬戸内海の海賊へと対応を俘囚に頼っていたことの証左とも考えられる(関幸彦『武士の誕生』)。

・安和1年(968) 11.29 源満仲は子息,頼信を儲けた。(『諸家系図纂』) 母は藤原致忠の娘である。(『尊卑分脈』)

※頼信の同母兄には頼親がいる。(『尊卑分脈』)

※「兵の家」の出身者は、武芸の職能を維持するために互いに婚姻関係を結んだ。致忠のような藤原黒麻呂の子孫が「兵の家」となっていったことが読み取れる(野口実『列島を翔ける平安武士』)。