ツギハギ日本の歴史

日本の歴史を、歴史学者の先生方などの書籍などを元に記述します。

昭和天皇の時代

昭和4年(1929) 8.1  『マンガ・マン』が創刊された。

※この雑誌はUSAの最新マンガ紹介などを行い、注目を集めることになる(澤村修治『日本マンガ全史』)。

昭和4年(1929) 西田税、陸軍少尉,菅波三郎、海軍少尉,藤井斉らによって、天剣党規約が起草された。

北一輝は、西田税を通して結成を主導していた。彼は自身の革命理論の実行力は軍部であると考えており、陸海軍の尉佐官級の将校らに対して、その思想を吹き込んだのである(秦郁彦『軍ファシズム運動史』第一章)。

昭和5年(1930) 9. 参謀本部ロシア班長,橋本欣五郎陸軍省調査班長,坂田義朗、東京警備司令部参謀,樋口季一郎を発起人として、桜会が結成された。結成の目的は、陸軍省参謀本部の将校を中心とした国家改造であった。(「田中清手記」)

※欣五郎は同年にTürkから帰国しており、Mustafa Kemalの行ったような革命と改革を、日本において実現させることを望んでいた。その意志が結成の原動力となっており、彼が事実上の首領として活動することとなる(秦郁彦『軍ファシズム運動史』第二章)。

昭和5年(1930) 10.1(9月末、10.3とも) 桜会の第1回会合が行われた。網領として、国家改造を目的とし、その達成のためならば武力行使も辞さないことや、国軍将校に国家改造のための意識を注入することなどが採択された。

昭和6年(1931) 1. 『少年倶楽部』新年号にて、田河水泡(本名:高見澤仲太郎)による「のらくろ」の連載が開始した。

※子どもは犬が好きということで、主人公は犬の野良犬黒吉となった。略して「のらくろ」である。最初は「のらくろ二兵卒」として開始した。野良犬黒吉が、親兄弟もおらず宿もないような境遇を逞しく生きる姿や、よかれと思って行動した結果失敗する愉快さが受け入れられ、人気を博した。のらくろが連隊の中で階級を上げる姿も、人気の理由であった。当時の講談社が、立身出世を称揚する色調であったことも関連していると思われる(澤村修治『日本マンガ全史』)。

・1933年 Aldous Huxleyは『Brave New World(すばらしい新世界)』を刊行した。

※この小説の設定では、人間は工場で産まれ、精神状態は薬物で管理可能になっている。また、性的快楽の追及は推奨されるが、それは出産や家族とは切り離されてある(東浩紀『訂正可能性の哲学』)。

昭和8年(1933)3. 中村書店から、大城のぼるによる「愉快な探検隊」が刊行された。

※この作品の出版が、「ナカムラマンガ・ライブラリー」シリーズのはじまりであった。中村書店はその後も、個性的な若手のマンガ家を見出し、育てていった(澤村修治『日本マンガ全史』)。

昭和8年(1933) 5. 『少年倶楽部』6月号にて、島田啓三による「冒険ダン吉」の連載が開始した。

※連載のタイトルページでは「痛快漫画物語」と銘打っているが、実際は挿絵を多く付けた物語(絵物語)であった。南洋と島に漂流したダン吉が、島の王になる物語である。人気を博した理由の1つとして、南進論が盛んになった時代背景が考えられている(澤村修治『日本マンガ全史』)。

昭和11年(1936) 1.25 『東京朝日新聞』にて横山隆一による「江戸ッ子健ちゃん」の連載が開始した。

※『東京朝日新聞』から、世の中を明るくするような連載マンガを求められてのものである。当初は1ヶ月の間連載するとの約束であった(澤村修治『日本マンガ全史』)。

昭和17年(1942)年 3.15 横山隆一の「フクちゃん」はアニメ化され、「フクちゃん奇襲」が発表された。

※キャラクターが戦争キャンペーンに使われるのは、国民感情の反映である(澤村修治『日本マンガ全史』)。

・昭和20年(1945) 4.12 長編アニメ「桃太郎 海の神兵」が発表された。作画者は瀬尾光世である。

※手塚治はこの映画を見て、日本において高技術のアニメが作られたことに感動したのだという(NHK『ぼくはアニメの虫』)。

・1945年 Karl Popperは『The open society and its enemies』を刊行した。

呪術的、部族的、もしくは集団主義的な社会を「閉ざされた社会」と位置づけ、「開かれた社会」と対立するものだと述べる。「開かれた社会」というのは、個人が個人的な決定を行える世界であり、その誕生の契機はSōkrátēsであるとする。そしてPlátōnは師を裏切り、個人を社会の一部でしかないと考える全体主義的な「閉ざされた社会」に回帰させたのだと説いている(東浩紀『訂正可能性の哲学』)。

・昭和21年(1946) 1.4 『少国民新聞』において、手塚治虫(本名治)は「マアチャンの日記帳」を掲載した。デビュー作である。

※一度治は持ち込みに失敗しており、掲載に関して、本人は幸運だったと回想している(手塚治虫『ぼくはマンガ家』)。

・昭和21年(1946) 4.22 『夕刊フクニチ』が創刊され、そこで長谷川町子による「サザエさん」の連載が開始した。

※一般的なサラリーマン家庭の日常生活を捉えた作品で、戦後の日本の世相に、ほのぼのとした笑いをもたらすことになる(澤村修治『日本マンガ全史』)。

・1949年 George Orwellは、小説『Nineteen Eighty-Four(1984)』を刊行した。

※この小説の舞台は、全体主義的な監視社会であり、家の中まで監視され、国家に報告されるといったものである。『すばらしい新世界』と同様に、近代の思想が進む先は、公的な空間が私的な空間にまで及び、家族の親愛は否定されるという観点のうえにあり、ディストピアの抵抗の起点として性愛を描く点が共通している(東浩紀『訂正可能性の哲学』)。

・1953年 Ludwig Wittgensteinの遺作『Philosophische Untersuchungen(哲学探求)』が刊行された。

※「後期」に位置づけられるこの書物は、「言語ゲーム」という概念が用いられる。「石版!」という発話は、「石版をもってこい」かもしれないし、石版に対する感嘆の意味かもしれない。発話内容は、発話外の状況によって定まるのであり、発話そのものを分析しても無意味というのがそれである。発話内容を知るのは、「言語ゲーム」を行い、規則を試行錯誤を学ぶほかないというのである(東浩紀『哲学可能性の哲学』)。

言語ゲームにおいては、明確な規則は定められておらず、規定の内容も変容する。自分が何のゲームを行っているか分からないまま、ただゲームを続けているとされる(東浩紀『哲学可能性の哲学』)。

・昭和30年(1955) 1.22 総理大臣,鳩山一郎は、施政方針演説において、「不良出版物」が青少年に悪影響を与えていると述べた。

※ 「青少年に有害な文化財に関する決議」を受けての発言である。新聞が発言を取り上げたことで、非難が拡大し、小学校の校庭でマンガが燃やされる事件も発生した(澤村修治『日本マンガ全史』)。

・1958年 Hannah Arendtは『Vita activa oder vom tätigen Leben(人間の条件)』を刊行した。

※私的な欲望を満たす人間は動物と変わらず、公的な領域に関わってこそ人間は人間でいられるとハンナは説いた(東浩紀『訂正可能性の哲学』)。

・昭和41年(1966) 7.17 円谷プロダクションによる『ウルトラマン』の放送が開始した。

※主人公は宇宙人(ウルトラマン)でありながら地球人(防衛隊員)という立場にあり葛藤し、隊員に対しても宇宙人という姿を隠している。そうした描写には、脚本を担当した金城哲夫が沖縄出身であり、沖縄と日本という2つのアイデンティティの間で葛藤していたことが理由にあるとも考えられる(與那覇潤『日本人はなぜ存在するのか』)。

・1969年 Hannah Arendtは『On Violence(暴力について)』を刊行した。

※Hannahは、評議会は、革命の伝統や理論の結果としてではなく、まったくなかったものであるかのように出現すると説いた。これは評議会コミュニズムが、「贈与―返礼」という交換様式Aを高次元で回復するものであることを示すとも解釈される(柄谷行人『世界史の構造』)。

・昭和47年(1972) 3.31 『帰ってきたウルトラマン』が放送を終了した。

※最終回に主人公は故郷であるM78星雲に帰還する。それを沖縄の本土復帰への動きを連想させるという見解もある(與那覇潤『日本人はなぜ存在するのか』)。

・昭和47年(1972) 5.15 沖縄は再び日本国に帰属した。

・昭和48年(1974) 4.5 『ウルトラマンタロウ』が放送を終了した。

※主人公は最終回で地球に残る道を選択する。地球は日本自体の暗示であるとして、沖縄の本土復帰に連動していると考える見解もある(與那覇潤『日本人はなぜ存在するのか』)。

・1982年(和暦昭和57) Saul Kripkeは『Wittgenstein on Rules and Private Language』が刊行した。

※1982年の講義をもとにした著作である。この著作においては、思考実験が述べられる。足し算をして、125という答えが出たと思ったら、懐疑論者が現れ、実は計算していた記号「+」はプラスではなく「クワス」であり、125ではなく答えは5になるというのである。ソールはこの懐疑論者の主張は、反論できないものだと述べる。しかし、この懐疑論者のような人は、価値観を共有できず、共同体の「ゲーム」から放逐される。ソールは、先にゲームの規則があって共同体が作られるのではなく、共同体を作った人々が、68+57の答えを125と答えられるような、価値観を共有する者を選別することでゲームの規則が確定すると考えた(東浩紀『訂正可能性の哲学』)。

※68+57を5と答えるような人は、共同体から排除される。しかし共同体の構成員から、その答えは125であると告げられ、誤りを訂正できる人は、共同体に受け入れられる可能性がある(東浩紀『訂正可能性の哲学』)。