ツギハギ日本の歴史

日本の歴史を、歴史学者の先生方などの書籍などを元に記述します。

2023-05-18から1日間の記事一覧

後醍醐天皇の時代

・文保2年(1318) 2.26 花園天皇は譲位し、尊治親王が践祚した(後醍醐天皇)。(『園太暦』) ※後醍醐天皇の践祚は、その父,後宇多院が再び院政を敷くことを意味した(森茂暁『後醍醐天皇』)。 ※当時として、31歳の践祚は異例なほど遅いものであった。しかし、天…

花園天皇の時代

・延慶1年(1308) 8.26 富仁親王は践祚した。(『園太暦』) 九条(藤原)師教は摂政に任じられた。(『践祚部類抄』) ・徳治3年(1308) 閏8.3 後宇多院は譲状を書き、讃岐国・越前国・因幡国にある所領および安楽寿院、歓喜光院領などの所領を皇子,尊治親王に譲る…

後二条天皇の時代

・正安3年(1301) 1.21 後伏見天皇の譲位により、邦治親王は践祚した(後二条天皇)。(『継鹿記』) ・正安3年(1301) 7.20 尊治親王の母,忠子は准后宣下を蒙った。(『実躬卿記』) 〔要参考〕『実躬卿記』には、忠子は亀山院からの寵愛により、高倉西大炊御門南の…

後伏見天皇の時代

・1299年 大元は僧侶の一山一寧に妙慈弘済大師の号を授けて、商人の船に乗せて使者として日本に派遣した。しかし日本から使者がやって来ることはなかった。(『元史』) ・正安3年(1301) 1.20 北条(平)宗方は四番引付頭人になった。(『北条九代記』) ・正安3年…

伏見天皇の時代

・弘安10年(1287) 10.21熈仁親王が践祚した(伏見天皇)。(『勘仲記』『実躬卿記』) ・1288年 サライのモンゴルはリャザンなどに攻め寄せた。 ・正応2年(1289) 4.25 胤仁親王は皇太子となった。(『実兼公記』) ・正応2年(1289) 5.? 北条(平)政村の子息,時村は…

後宇多天皇の時代

・文永11年(1274) 1.26 亀山天皇の譲位により、世仁親王は践祚した。(『帝王編年記』) 九条(藤原)忠家は摂政に任じられた。(『増鏡』) ・文永11年(1274) 10.3 Mongγol・高麗連合軍は、合浦を出発した。(『高麗史』) ・文永11年(1274) 10.3 対馬国にて、日本…

亀山天皇の時代

・正元1年(1260) 11.26 後深草天皇の譲位により、恒仁親王は践祚した(亀山天皇)。(『百錬抄』) ・文応1年(1260) ?.? 足利(源)頼氏は、上杉(藤原)重房の娘との間に家時を儲けた。(『尊卑分脈』) ※頼氏が北条得宗家から妻をむかえられなかったのは、父,泰氏が…

後深草天皇の時代

・寛元4年(1246) 1.29 後嵯峨天皇の譲位により、久仁親王が践祚した(後深草天皇)。(『葉黄記』) ・寛元4年(1246) 3.23 北条(平)経時は自邸にて「深秘の御沙汰」を行った。その後、自分は病で助かりそうになく、子息は幼いからとして、弟の時頼に執権を譲った。…

後嵯峨天皇の時代

・仁治3年(1242) 1.20 邦仁王は践祚して天皇となった(後嵯峨天皇)。(『後中記』) 摂政,近衛(藤原)兼経が関白に任じられた。(『平戸記』) ・1242年 ?.? チャガタイは死去した。 ・1242年 3. モンゴル軍に対して、オゴデイの死が伝えられた。そこでジョチ ウル…

四条天皇の時代( 貞永、天福、文暦、嘉禎、暦仁、延応 仁治)

・貞永1年(1232) 11.17 後堀河天皇は譲位し、秀仁親王が践祚した。(『民経記』『百錬抄』) ・天福1年(1233) 5.? 佐原(平)盛連は、制止を聞かずに上洛しようとした途中、北条(平)泰時の支持で殺害された。(『明月記』) ※三浦(平)義村の娘(後の法号を矢部禅尼)…

後堀河天皇の時代

・承久3年(1221) 7.9 後鳥羽院の兄である守貞(行助入道)親王の子息,茂仁王が践祚した(後堀河天皇)。(『百錬抄』『公卿補任』) ・承久3年(1221) 7.13 後鳥羽院は隠岐国に移るため、都を出御(外出)した。(『愚管抄』『吾妻鏡』) ※これは鎌倉幕府による、事実上…

順徳天皇・仲恭天皇の時代

・承元4年(1210) 11.25 土御門天皇の譲位を受けて、守成親王が践祚した。(『玉葉』) 近衛(藤原)家実は関白を続けた。(『百錬抄』) ・建暦1年(1211) 9.15 善哉は出家し、法名を公暁と名乗った。(『吾妻鏡』) ・1211年 天山ウイグル カガン国は、保護国のカラ…

土御門天皇の時代

・建久9年(1198) 1.11 為仁親王は皇太子となり、後鳥羽天皇の譲位を受けて践祚した(土御門天皇)。近衛(藤原)基通は摂政に任じられた。(『玉葉』) ・建久9年(1198) ?.? 栄西は『興禅護国論』を発表した。 ※この著書において、僧侶は座禅、読経、学問などは規…

安徳天皇・後鳥羽天皇の時代

・1180年(和暦治承4) 2.21 高倉天皇の譲位により、言仁親王が践祚した。藤原基実は摂政を続けた。(『玉葉』) ・1180年(和暦治承4) 4.9 以仁王は源頼政と共に謀議し、源行家を遣わして、平家追討の令旨を諸国の源氏などに伝えた。延暦寺、興福寺の僧兵の橋梁…

高倉天皇の時代

・仁安3年(1168) 2.19 六条天皇の譲位により、憲仁親王は践祚した。(『玉葉』) ・嘉応2年(1170)?.? その序文によれば、この年『今鏡(続世継)』が成立した。大宅世継の孫娘が、後一条天皇から高倉天皇までの歴史を、大和国の古寺の巡礼に訪れた作者語る設定で…

六条天皇の時代

・永万1年(1165) 6.25 二条天皇の譲位により、 順仁親王は践祚した。藤原基実は関白に任じられた。(『山槐記』) ・仁安2年(1167) 2. 平重盛は権大納言に昇進した。 ・仁安2年(1167)5. 平重盛は賊徒追討の宣旨を受けた。 ※これにより、平重盛は清盛の後継者と…

二条天皇の時代

・保元3年(1158) 8.11 後白河天皇の譲位により、守仁親王は践祚した。(『兵範記』) ※後白河天皇は、権力を保持したまま太上天皇となった。そのため彼は、自身を規定していた「中継ぎ」としての天皇という立場を変化させたのである(荒木敏夫『可能性としての…

後白河天皇の時代

・久寿2年(1155) 7.23 雅仁親王は践祚した。(『台記』) 前太政大臣,藤原忠通は関白に任じられた。(『兵範記』) ・保元1年(1156) ?.? 伊豆国の目代は、伊豆国北条の在庁官人,北条(平)時政を捕縛した。(『吉口伝』) ・保元1年(1156) 7.11 後白河天皇方と、崇徳…

近衛天皇の時代

・永治1年(1142) 12.7 崇徳天皇の譲位により、体仁親王は践祚した。(『百錬抄』) 藤原忠通は摂政に任じられた。(『帝王編年記』) ・天養1年(1144) 9.? 三浦(平)義継、義明父子は、源義朝の協力を得て、中村(平)宗平とともに大庭(平)景宗と抗争し、高座群の伊…

崇徳天皇の時代(保安、天治、大治、天承、長承、保延)

・保安4年(1123) 2.25 顕仁親王は皇太子となり、鳥羽天皇の譲位を受けて践祚した(崇徳天皇)。(『法性寺関白記』) ・1125年 トゥングース系遊牧民のジュシェン(女真)族は、ワンヤン(完顔)部族の長アグダに率いられ、皇帝を捕えキタイを滅ぼした。アグダは皇帝…

鳥羽天皇の時代(嘉承、天仁、天永、永久、元永)

・嘉承2年(1107) 7.19 宗仁親王は践祚した(鳥羽天皇)。藤原忠実は摂政に任じられた。(『殿暦』) ・嘉承2年(1107) 12.19 源義親は出雲国目代を殺害した。そのため朝廷は因幡守,平正盛に命じて義親を追討させた。この日、正盛は都を出発した。(『殿暦』『中右…

堀河天皇の時代(応徳、寛治、嘉保、永長、承徳、康和、長治、嘉承)

・応徳3年(1083) 11.26 善仁親王は皇太子となり、白河天皇の譲位を受けて践祚した。(『後二条師通記』) ・1084年(宋暦元豊7) 宋の司馬光は『資治通鑑』を完成させた。 ※『資治通鑑』には、正統な王朝は正統同時代に1つという考えが貫かれている。三国時代で…

白河天皇の時代(延久、承保、承暦、永保、応徳)

・延久4年(1073) 12.8 後三条天皇の譲位により、貞仁親王が践祚した。(『師守記』) ・承保3年(1076) 12.18 法勝寺の阿弥陀堂が供養された。(『法勝寺金堂造営記』) ※藤原摂関家が担った政治と文化を克服するために、天平の時代を思わせる寺を創建したとも考…

後三条天皇の時代(治暦)

・治暦4年(1068) 4.19 尊仁親王は践祚した(後三条天皇)。(『本朝世紀』) ※後三条天皇の母,禎子内親王は藤原道長の孫である。しかし、宇多天皇以来の母親が非藤原氏の天皇であるという点において画期であったと考えられる(美川圭『院政 増補版』。) ・1069~1…

後冷泉天皇の時代(寛徳、永承、天喜、康平)

・寛徳2年(1045) 1.16 後朱雀天皇の譲位により、親仁親王は践祚した(後冷泉天皇)。(『百錬抄』) ・永承1年(1046) 1.18 右大臣,藤原実資は死去した。(『扶桑略記』) ※実資の生前、彼の日記『小右記(野府記)』は裁断されていた。それは、日記の内容を儀式ごと…

後朱雀天皇の時代(長元、長暦、長久、)

・長元9年(1036) 4.17 敦良親王は践祚した。左大臣,藤原頼通は関白に任じられた。(『左経記』) ※兄弟間で皇位が継承継承されることで、世代交代は遅くなり、外戚は外戚の地位に留まりやすくなった。そうした背景から、天皇が早くに崩御して代替わりがあった…

後一条天皇の時代(長和、寛仁、治安、万寿)

・長和5年(1016) 1.29 三条天皇は譲位し、敦成親王が践祚した(後一条天皇)。藤原道長は摂政に任じられた。(『御堂関白記』) 敦明親王は皇太子となった。(『小右記』) ・長和5年(1016) 2.7 藤原道雅は従三位に叙された。(『中古歌仙三十六人伝』) ※当子内親王…

三条天皇の時代(寛弘)

・寛弘8年(1011) 6.13 一条天皇の譲位により、居貞親王が践祚した。(『御堂関白記』) ・長和1年(1012) 7.16以前 大江匡衡は晩年、半生を述懐する詩「述懐古調詩一百韻」を作った。 ※詩において、匡衡は自身が7歳で読書を始めたと歌っている。当時、7歳は学習を…

一条天皇の時代(寛和、永延、永祚、正暦、長徳、長保)

・寛和2年(986) 6.23 懐仁親王は践祚した。藤原良房の先例に従い、右大臣,藤原兼家は摂政に任じられた。(『日本紀略』) ・寛和3年(987) 1.24 平貞盛の弟,繁盛が金泥で書写した『大般若経』1部600巻を延暦寺に奉納するに際して、朝廷は美濃国司に道中の安全保…

花山天皇の時代(永観、寛和)

・永観2年(984) 8.27 円融天皇の譲位により、師貞親王が践祚した。(『日本紀略』) ・永観2年(984) 8.27 円融院の皇子,懐仁親王が皇太子に立てられた。(『日本紀略』) ※円融院は藤原兼家に屈服する形で譲位したものの、懐仁親王を皇太子に立てることで、自身…