ツギハギ日本の歴史

日本の歴史を、歴史学者の先生方などの書籍などを元に記述します。

中御門天皇の時代

・1719年(和暦享保4) 朝鮮通信使の申維翰が来日した。(『海游録』)

※来日中、維翰は接待役の雨森誠清(芳洲)に対し、男色が盛んなことを非難したが、誠清は、維翰は男色の素晴らしさを知らないのだと返答している。儒教的な性道徳が強い朝鮮に対し、日本はおおらかであった(呉座勇一『日本中世への招待』)。

・1721年 Charles de Montesquieuは『Lettres persanes(Percia人の手紙)』を著した。

※Franceを旅するPercia人が、友人に送った手紙という形式で発表された著作である。Charlesは基本法に束縛されない人間が恣意的な統治を行う政体を批判し、「oriental despotism(東洋的専制)」と名付けた。東洋的専制は、本来はʿOs̠mān、Mughal、中華帝国に見られる恐怖政治であるものの、Franceも同等の政治形態に堕落したとといてある(君塚直隆『君主制とはなんだろうか』)。

・1721年(和暦享保7) 浄瑠璃『心中宵庚申』が初演となった。

※主人公の半兵衛の台詞として、養母に向かって「お前」というものがある。敬意を示す人称代名詞として、まだ「あなた」が無かったころ、「お前」は最も敬意を込めた人称代名詞だったのである(山口仲美『日本語の歴史』)。

・1722年 Denis Diderot、Jean d'Alembertらによる『Encyclopédie(百科全書)』が完成した。

※序文においては、Galileo Galileiは宗教によって科学が弾圧された時代の犠牲者と位置づけられ、そうした「暗黒の中世」の末期において、世界を啓蒙する先駆者としてFrancis Baconの名が挙げられる。啓蒙主義においては、その2人が英雄視された。啓蒙主義者は、迷信や因習が排除されたならば、人間が先天的に持っている理性によって人類は進歩し賢くなると考えていた。その点におて、理性を人工物(Organon)によって補強することを説いたFrancisとは異なる(戸田山和久『教養の書』)。