ツギハギ日本の歴史

日本の歴史を、歴史学者の先生方などの書籍などを元に記述します。

桃園天皇の時代

・1748年 山本格安による『尾張方言』が刊行された。

尾張国の方言書である。各地の方言意識が強くなり、関心が高まったことを示している(倉島節尚『中高生からの日本語の歴史』)。

・1755年 3. イマヌエル カントは『天界の一般自然史と理論』を刊行した。また、ケーニヒスベルク大学の私講師として授業を担当するようになった。

※イマヌエルの説は、「カント・ラプラス星雲説」として知られるようになる(御子柴義之『自分で考える勇気』)。

※私講師は大学から給料が払われず、生徒の受講料に頼る貧しい生活であった。イマヌエルは生活の足しとしてケーニヒスベルク大学王立図書館の副司書官として数年間働いた(御子柴義之『自分で考える勇気』)。

・1755年 11.1 ポルトゥガルのリスボンにて、大地震が発生、津波も起こり数万人が犠牲となった。

・1755年 ジャン ジャック=ルソーは『人間不平等起源論』を発表した。

※自然状態において、人間は固定された配偶者や家族はいなかったはずだと述べられ、人間を不幸にする否定すべき社会には、家族も含まれていた。キリスト教の圧力が弱まったことで、家族が明確に否定される思想が現れたのである(東浩紀『訂正可能性の哲学』)。

・1756年 イマヌエル カントは論文「地震の歴史と博物誌」を著した。

・1757年 1. ラスィーヤが東プロイセンケーニヒスベルクを占領した。

※この占領は、市民の日常生活に影響はなく、権利は保障された。また、イマヌエル カントの講義にはラスィーヤの士官が出席するようになる。治める国が変わっても人の権利が保障されたこの出来事は、イマヌエルの「世界市民」思想に影響を与えたかもしれない(御子柴義之『自分で考える勇気』)

・1762年 5. ジャン ジャック=ルソーは『エミール』を刊行した。

・1762年 夏の終わり イマヌエル カントは『エミール』を入手し、それを読みふけり、日課になっていた散歩は数日取りやめた。

※イマヌエルは『エミール』を読み、人間を尊敬することを学んだと書き残している。学問的能力を確信していたイマヌエルが、人は人であるだけで尊いことを学んだのである(御子柴義之『自分で考える勇気』)。